マルコ9:14~29 サムエル記上 17:38~47
弟子たちの身に迫ったトラブルは、ある人が悪霊に苦しめられているこどもをいやしてもらうために連れて来たのです。こどもをいやしてくださるようにお願いしたのですが、出来なったのです。この証言を聞いたイエス様は、何と信仰のない時代か、と吐き捨てるように言われました。イエス様の嘆きは、イエス様はいつまでも弟子たちと一緒にはいられない。しかし弟子たちはそのことを理解していいないし、イエス様が側にいなければ、弟子たちには何もできないのでしょうか。父親はイエス様に願いました。こんな状態のこどもですが、もしおできになるのなら、この子を助けてやってくださいませんか、と願い出ました。すぐさまイエス様が言われました。できれば、と言うのか。信じるならば、何でもできるはずだが。父親は、自分がイエス様を信じていないことを指摘され、慌てて、信じます、信仰のない私をお許しください。お助けください、と叫んでいます。弟子たちは後でイエス様に尋ねています。なぜ私たちは何もできなかったのでしょうか。イエス様ははっきりとおっしゃっています。祈りによらなければならないと。弟子たちの信仰の有る無いではない。弟子たちを通して素晴らしい業をなさっていたのは神様御自身です。これからも私たちに信仰あろうともうなくても、神様はその愛と恵みを持って、私たちに素晴らしい恵みをあたえてくださいます。さて私たちが何もできなかったのはなぜでしょうか?イエス様は、祈りによらなければなにもできない、と教えています。信仰があるないではなく、私たちがいつも神様に心を開いて祈っているかどうかが大切なのです。祈りが進行が無くてもあっても、私たちに神様を知らせてくださり、神様の愛と恵みが私たちに注がれていることを確信させてくれるのです。
