2026年7月12日 朝礼拝『ひたすらキリストの福音に頼って』石川立副牧師

ヨシュア記24章14-15節   フィリピの信徒への手紙1章27-30節

 

フィリピ書1章27節でパウロは「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と書いています。ユダヤ人キリスト者たちから言われるとおりに、異邦人も律法を守ったり、割礼を受けたりせずに、ひたすらイエス・キリストの十字架と復活の出来事に依り頼んで生きなさいという奨めです。パウロが問題にしていたユダヤ人キリスト者は、キリストに頼りきるのではなく、ユダヤ教の律法をいまだに引きずり、それを異邦人にも、キリスト者になるための条件として課そうとしていました。彼らは、キリストの十字架と復活という一大事を相対化する者たちでした。現代の私たちもユダヤ人キリスト者と同じような考え方をすることがあります。キリストの十字架と復活だけでは不十分ではないかと不安になり、救われるために、キリストと私たちの間に条件やハードルを置いて、自らに努力や業績を課すのです。パウロが奨めるのは、キリストの福音に集中してひたすら依り頼むという単純なことです。ルカ福音書の「善いサマリア人」のたとえ話(10章25-37節)では、律法に捉われているユダヤ人の祭司やレビ人は道に倒れている人を穢れていると思い避けて行きました。一方、ユダヤ人と敵対しているサマリアの人は、律法や憎しみなど何にも捉われず、倒れている人に集中し介抱しました。倒れている人を、私たちの信仰の道に倒れている十字架のイエスと見立ててみてはどうでしょうか。私たちに求められるのは、イエスにただ集中して走り寄ることだけです。ヨシュア記24章14-15節でヨシュアは、異教の神々にも惹かれているイスラエルの人々に対し、自分はイスラエルの神に集中すると明言します。救われるには「キリストだけでは足らない」、「もっと力強いパワーが必要だ」、「私たちももっと努力したほうがよい」――このように思うことは間違いです。私たちにできることは、ひたすらイエス・キリストの出来事に集中し、頼りきることだけです。