2026年6月21日朝礼拝 大賀幸一牧師"足の塵を払い落としなさい”

 マルコ6:1~13 アモス7:10~15

 イエス様は、派遣される人々に対して、ほとんど何も持って行くなと教えています。杖一本だけです。後はサンダルを履いているだけです。杖一本とは何でしょうか。派遣される弟子たちが杖を持って行ったとは思えません。彼らにとっての杖とは、イエス・キリスト以外にありません。彼らを迎えてくれる家があるなら、その家を離れるなとも教えています。そして、ただ苦しんでいる人、病気の人をいやして回ったのです。派遣される弟子たちを迎え入れない町があったのでしょうか。足の塵を払い落として、関係を絶たなければならないそんな町があったとは思えません。ナザレのイエスの弟子であると知り、多くの病人をいやされたことを知り、人々は大いに歓迎してくれたのではないでしょうか。世の塵を落とし、イエス様と神様と深くつながって行ったのです。しかし、イエス様の故郷、ナザレは違いました。イエス様が育った町でありながら、イエス様を通して幾度も神様の御声を、御言葉を聴いておりながらも、イエス様をよく見て知っているのにも関わらず、ナザレの町の人々はイエス様につまずいたとされています。つまずくと、神の子イエス・キリストが語られても、いやしをなさっても、人々の中に神様の恵みは入りません。どんなに神様が愛しても、神様の恵みは人間の中にいやしを与えることも、命を養うこともありません。どんなに神様とイエス様が愛してもです。人間の心の壁が、偏見や差別が、神様の愛と恵みさえも失ってしまうのです。ただ、目に前にある神様の差し出される恵みを受け取るだけのことです。その素直さを失っては、神様の恵みが成し遂げるどんなことも起こり得ません。ではイエス様は、ナザレの町の人々と関係を遮断したでしょうか。神様は。決してそんなことはなさいません。ただただ、人間の頑なさに驚いているだけです。こんなにも目の前に、神様の愛があり、神様の用意された恵みが溢れているのに、それを受けようとしない人間があるのです。私たちは、神様の愛と恵みを大いに喜んで受けましょう。私たちはこれからも神様の愛と恵みを伝え続けて行きましょう。