マルコ1:29~39 歴代誌下15:1~8
今日もマルコ福音書を中心に聖書を通して、神様の御言葉を聴き、祝福を受けましょう。今日、イエス様たちは会堂、シナゴーグを出て、シモン、アンデレ兄弟の家、カファルナウムにあった家に戻りました。ところが、シモンの姑が、熱を出して寝込んでいました。そのことを聞いたイエス様は、シモンの姑を見舞い、彼女をいやしてしまいます。姑の熱は去って行き、そして彼女は一同をもてなした、とあります。実はもてなしたではなく、本来は一同に仕えた、と書かれています。シモンの姑がイエス様たちに仕えたのは、病気をいやされ、熱が去ったからです。その苦しみから解放されたその時に、姑はイエス様を信じたのです。信じて従ったのです。夕方になって、人々は仕事を終えて、愛する家族をイエス様のもとに連れて来ました。夕方にならないと病気で苦しむ家族を連れて来ることが出来ないのです。人々がイエス様のもとに連れて来た病人たちは、様々な病気を抱えていました。人々が負わされた病気が、イエス様のみもとへと導いたことは事実でしょう。人生において負わされた病気や苦しみが、イエス様へ、神様へと導いていることは確かなことです。私は宣教する、というのは、福音を宣べ伝えるという意味です。それは、病気や様々な苦しみの中にある人々をいやすということでもあります。でもそれだけでは足りないのです。病気がいやされるだけで終わりではないのです。人間の本当の苦しみ、解決されなければならないのは死を克服することです。死を克服しなければ、人間の命は祝福されません。病気や苦しみの解決は大切ですが、さらにその先にある死の克服、そのためにこそイエス様は出て来られたのだ、とおしゃっています。神様のもとから出て、人間世界へと出て来られました。そして人間たちを死の苦しみから解放し、命を祝福するために、イエス・キリストは出て来られたのです。私たちはイエス・キリストと共に生きます。私たちは神様を信じて、私たちの命を生きて行きます。
