2026年6月1日朝礼拝 大賀幸一牧師「私の愛する子」

マルコ1:9~11 申命記6:4~9 

今日は、三位一体主日です。聖霊降臨日の次の主日をこのように呼びます。聖霊の到来によって、神様とイエス様、そして聖霊と。神様は、三様の様態を持ちながらも一人の神様であるといいいます。キリスト教が独自に伝える神様の姿です。キリスト教には3人も神様がいるとよく揶揄されますが、キリスト教が伝える神様は、独りであることに固執しません。私たちの知る神様は、独りであるどころか様々に変って行かれる神様です。その目的は、すべて愛するということから生れています。私たちを愛するため、世界を愛するためです。イエス様が現れた時、人間たちは全く無知で何も知らなかったのです。そんな中イエス様はやって来られました。他の人々と同じようにヨルダン川で洗礼を受けられました。すると、天から神様の霊がイエス様に降って来ました。聖書協会共同訳では、“水から上がっているとき、天が裂けて、霊が鳩の様にご自分の中へ降って来るのをご覧になった”と書かれています。天から降って来た神様の霊は、間違いなくイエス様の中へ、ご自分の中へ降ったのです。このことが徴となって、イエス様は洗礼者ヨハネと共に歩もうとされたのです。イエス様が洗礼を受けることを通して、私たちにも開かれたことがあります。私たちも水によって洗礼を受ける時、神様の霊を受けることが出来るということです。洗礼式では必ず聖霊のバプテスマが与えられることを祈ります。私たちが洗礼受ける時、私たちもまたイエス様と同じように神様の霊を受ける時なのです。空っぽだった私たちの魂の中に、神様は神の霊を注いでくださり、私たちを満たしてくださっているのです。そして、神様は、イエス様に示されましたように、私たちにも示してくださいます。あなたは私の愛するこども、私はあなたを喜ぶ、と。神様は私たちを喜んでくださいます。私たち人間の成長は、暴力と支配の中にあるのではありません。神様が与えてくださったように、神様の霊をもって満たしてくださり、神様の愛を注いでくださる中に、私たちの成長があります。私たち人間の命が満たされる場所がそこにあるのです。