2026年5月3日朝礼拝 大賀幸一牧師“私につながっていなさい”

ヨハネ15:1~11,出エジプト記19:1~6

 

  私につながっている枝、とあります。正確には、私の中の枝、と書かれています。枝は、イエス様の中にあるのです。イエス様と深くつながっています。イエス様を深く信頼し、信じているということです。そんなに深くイエス様の中から生えている枝なれば、当然その枝から美しい果実が実ってくるはずです。  ところがイエス様の中の枝でありながら、果実を実らせないものが登場してくるのです。もしも実をつけない枝があるのなら、農夫はその枝を切り落とし、他の豊かな実をつける枝を残して行くことになるでしょう。そして実を結ぶものはもっと豊かに実を結ぶように手入れをなれる、と書かれています。実は、手入れをする、となっていますが、直訳では、実を結ぶように清める、と書かれているのです。イエス様がおっしゃているのは、樹木の剪定の仕方を教えているのではなく、イエス様につながっている枝が、豊かな果実を実らせない、そんな時に神様はどうなさるかを教えているのです。その時神様は、その枝を清めるのです。いっそう豊かな実りを結ぶように清めるのだ、と教えているのです。イエス様は、あなたがたはもうすでに清いのだ。私が語った言葉によって、とおっしゃっています。イエス・キリストの御言葉を聴いている人々は、もうすでに清くされている、と教えているのです。さらに、ぶどうの木につながっていることを求めていますが、本来は、私に留まりなさい、とおっしゃっています。それは枝が木の幹にくっついているだけではなく、そこに私たち自身の意思があります。またイエス様ご自身も私たちに留まってくださる、とおっしゃっているのです。イエス様は、私たちの安全のために、私に留まっていなさい、と教えています。私たちがもっとも安心していられるのは、最も頼りになる存在、神様とイエス様につながり、留まることではありませんか。私たちも、イエス様に留まっていましょう。