イザヤ書40章9-11節 フィリピの信徒への手紙1章1-11節
パウロは3回目の宣教旅行の際、アジア州のエフェソ(現在のトルコ)に立ち寄りました(紀元54年頃)。その町で彼はガラテヤの信徒に手紙を書き、その後、何らの事情で投獄され、そのパウロのもとにマケドニア州のフィリピから差し入れが届けられました。フィリピはパウロが2回目の宣教旅行の際、初めてヨーロッパに足を踏み入れたときの町です。使徒言行録16章によれば、フィリピでリディアという裕福な商家の女性がパウロの説く福音を信じ、彼女の家がヨーロッパ最初の教会になりました。
フィリピ教会からの差し入れに対しパウロはお礼と挨拶を手紙にしたためます。パウロはフィリピの信徒たちが宣教の初めの日から今日に至るまでパウロの説いた福音を信じ、福音に立ち続けていることを喜び、彼らのために祈ります。福音とは、イエス・キリストの十字架と復活により、人間が「義」とされ、罪が赦されたという喜ばしい知らせのことです。パウロは11節でフィリピ教会に対し「イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように」と祈っています。「義の実」とはガラテヤ書5章22、23節にある「霊の結ぶ実」と同じです。キリストの善い業によって、人間において「義」として結実した実のことです。フィリピ教会に向けられた、キリストによる義の実を受けるようにとのパウロの祈りは、時と空間を超え、今日の私たちに対する祈りにもなっています。私たちもこの祈りに応え、イエス・キリストの十字架と復活の真実を、ますますあふれるほどに受け入れる者でありたいと思います。イザヤ書40章10節によれば、私たち自身こそが、神様が勝ち取ってくださった義の実(「主の働きの実り」)そのものです。神様の善い業による実が、私たち一人ひとりの「場」で実るのです。義の実がたわわに実る御前の「場」として私たち自身を神様に解放させていただきたいものです。
