2026年3月8日 朝礼拝 大賀幸一牧師「あなたはメシア、キリストです」

 マルコ8:27-33,イザヤ48:1-8

多くの人々が、イエス様を洗礼者ヨハネのよみがえりだ、と考えていたことと、イエス様がメシア、キリストであるということの間には大きな差異があります。キリストを迎えるために、神様は洗礼者ヨハネを人々のもとに遣わされました。準備を整える人と迎えられるべき方。全然違う人であることが分かります。それなのにイエス様の弟子たちはなぜ、イエス様をメシア、キリストである、と理解するようになったのでしょう。イエス様が弟子たちに対してだけ、特別な教え、教育をしていたからでしょうか。確かにイエス様が理解が出来ない弟子たちに詳しく教えていたのは事実ですが、特別ことを教えていたということはありません。ただ一つあるとするなら、群衆や人々は、ほぼイエス様たちと一緒にいたと言えますが、どんな時でもイエス様と弟子たちは一緒にいた、ということだけが特別です。弟子たちが尋ねることに対して、必ずイエス様は応えてくださいました。弟子たちの疑問や無理解に対しても、イエス様はそれを我慢し、愛してくださっていました。違いがあるとすればただこの点だけです。イエス様と弟子たちとの近さ、その距離、絶えずいつも一緒にイエス様は弟子たちと共にいてくださった、と言う違いだけです。ただこのことだけが、弟子たちに、ペトロに、あなたはメシア、キリストです、という信仰告白へ、キリストを信じる告白へと導いたのです。ペトロたちの信仰告白の後、イエス様は、最初の受難予告を明らかにされました。これは聞くに堪えない話でした。ペトロはイエス様をいさめようとまでしています。ようやくイエス様を神の子キリストとして信じるようになっても、やはり人間たちは、神様を、イエス様を、そのすべてを理解し、受け留めてはいないのです。イエス様にこっぴどく叱られたペトロと弟子たちですが、見捨てられたわけではありません。イエス様を信じなくなったわけではありません。それもすべてイエス様はご存じの上、承知の上で、ペトロと弟子たちを愛し、忍耐して、教え続け、導き続けてくださいます。私たちも神様によって愛され、イエス様によって愛されて永遠の命へ歩んで行くのです。