マルコ1:21~28,申命記30:11-15
イエス様たちは安息日を迎え、礼拝を献げています。私たちも毎週礼拝を献げています。私たちが毎週礼拝を献げるのは、ご飯を食べるようなものだと考えています。私たちは毎日お腹が空きますし、栄養を取らないといけないので、ご飯を食べます。私たちの体が、命がご飯を必要としているのです。だから私たちは、毎週礼拝を献げ、神様の言葉である聖書を通して、神様の御声、御言葉を聴いて生きる者となっているのです。神様の御言葉を聴かないと生きる力が湧いて来ないのです。安息日の礼拝が献げられている時に、一つの事件が起こります。汚れた霊に取りつかれている人間が登場します。汚れた霊に取りつかれた人間とは、いったい何者かと思うところですが、それこそ私たちのこと、私たち人間のことと考えるべきです。何かに左右され、何かに影響を受け、自分の思う通りには生きていない、生きられないのが私たち人間ではないでしょうか。汚れた霊に取りつかれた人間が言います。「構わないでくれ」。人間たちは、イエス様のような神の子が近づかれることで、自分たちが滅んでしまう。自分たちが消滅してしまうのではないかと恐れているのです。決してそのようなことはありません。イエス様は、人間を解放し、自由を与えてくださるのです。そして、汚れた霊から解放された後が大切です。空っぽなったままでは良くありません。そこに、神様の御言葉を、神様の愛と恵みをいっぱい満たしてください。ただ空っぽのままとせず、さらにさらに、神様の御言葉を神様の愛と恵みで満たして行きましょう。
