出エジプト記6:2~13, マルコ13:5~13
今日は、出エジプト記を中心に神様の御言葉を聴き、祝福を受けましょう。ヨセフの時代の気候変動、大飢饉を逃れるためにエジプト王国に寄留していましたヘブライ人と呼ばれる遊牧民族は、いつしかエジプト王国にとって厄介なものとなっていました。エジプト王国は、ヨセフの時代と打って変って、エジプト人ファーストの王国に変っていました。モーセとアロンが突然現れて、ヘブライ人の神が、奴隷の様になっているヘブライ人たちを自由にし、祖先たちの住んだ土地カナンへと導くと言われました。ヘブライ人たちは、大いに喜び、モーセたちを大歓迎しました。ところがモーセたちがファラオと会見し、ヘブライ人たちの解放を求めたところ、その重圧はさらに重くなったのです。ファラオは、ヘブライ人たちを、怠け者だから、自分たちの神が現れたから、荒野で神様を礼拝し、祭りを執り行わせてくれなどというのだと言いました。神様を礼拝するなどというのは、怠け者のすることだと弾劾し、いっそうヘブライ人たちへの重労働が増やされたのです。ヘブライ人たちは、もはやモーセたちのことを信用しません。神様は、モーセとアロンに、ファラオを説得しなさい、と命じています。これがとても大事なことだと思います。神様はあくまでも、話し合いでヘブライ人の自由を勝ち取ろうとしています。武器は言葉です。しまいにはファラオだけでなく、エジプト人たちに語りかけて、エジプト人たちの中にもヘブライ人の神様を畏れて、信じるようになるものが現れて来るのです。それは、ヘブライ人の神様は、エジプト人にもヘブライ人にも明日を見せているからです。災いが始まる時、災いが終わる時、度々神様はモーセたちを通して、明日を見せているのです。ファラオが与える命令には、明日は見えません。神様の災いは、ヘブライ人もエジプト人にも、神様をお示しになります。人間には今日も落胆と過酷な労働があります。私たちはいつもこれに負けそうになっています。しかし、神様は生きておられる。神様はその御腕を伸ばして、私たちを救い、贖うために、語り続けてくださています。私たちの自由と命を勝ち取るためです。
