マタイ 13:24-43 ハバクク3:17-19
毒麦、麦と一緒に育つ草で、小麦と一緒に製粉されると苦みがあります。苦味ぐらいであれば良いですが、場合よっては死に至ることも少なくないと言われているようです。イエス様はたとえ話をなさいました。ある人、それはイエス様の解説ではイエス様自身です。畑、それは人間世界。この世界に良い種を蒔かれました。イエス様がこの世界に蒔いているのは、良いものであるということです。敵が登場します。神様に敵対する者であり、人間たちに敵対するものです。人間たちが眠っている時にやって来て毒麦を蒔いて行きます。良い種も毒麦もそれぞれ成長して行きます。毒麦がこの世界に、私たちに影響を及ぼすようになるのは蒔かれた時でも、発芽した時でもありません。成長し、実りをもたらす時になって出てくるのです。人間たちは不安ですからすぐさま毒麦を抜き取ってしまいましょう、と提案します。イエス様は、毒麦も良いものと一緒にそのままにしておきなさい、と。両方が成長、収穫の時に成ったら、まず毒麦を取り除き、燃やしてしまいなさいと命じられました。その理由は、あやまって良いものを一緒に抜き取ってしまう可能性があるからだと。それだけ毒麦と良いものとは簡単に見分けがつかないのです。イエス様は、私たちに、人間の世界に、収穫の時まで、毒麦と一緒に成長せよ、と命じているようなものです。神様がイエス様によって与えられた良いものが成長するのと同じように、毒麦も一緒に成長して行くのです。収穫の時とは、世界の終末、神の天使たちによって刈り取られて行きます。つまり刈り取るのは私たち人間には出来ないのです。たとえ毒麦といえども人間が刈り取るのではなく、神様が刈り取るのです。私たちは、神様がイエス様と共にいつもこの世界に、私たちに良いものを蒔き続けてくださることを知ります。からし種のように、それらの種は小さくて吹き飛んでしまうぐらいですが、この世界に蒔かれて驚くほどに成長します。神様が蒔いてくださるものはそれだけの力を、命を持っているのです。神様の愛と忍耐が、いつも私たちに、世界に蒔かれ続けています。その中を私たちは歩みます。