2025年8月31日朝礼拝「愛から生まれ愛に生きる」 滝口大気神学生

「子どもは親からの愛から生まれて、愛されて育てられ行かされる」とか、「親は子より先に死ぬものだ」とか「親は子どもを愛するものだ」とか、そういったことは平和な日本で生きていて、恵まれた環境に生まれ育った人であるならば当たり前のように聞こえるかもしれません。しかし、世を見渡してみると、とても悲しいことに必ずしもこれらは当たり前とは言い難いようです。戦争や貧困にあえぐ地域では子が親より先に死ぬのが当たり前となり得てしまっていますし、場合によっては貧困故であったり家庭の事情であったりで親から愛を注がれずして生まれ、売られたり捨てられたりする子ども達がいるのも事実です。さらには、そのような経験を乗り越えて今なお過去の傷や苦しみを抱えて生きている人々がいるのも事実です。しかし、私たちは如何に恵まれていようがいまいが関係なく、もれなく全員が主なる神の愛から生まれて、そして愛に生きる者とされているのです。この日与えられた旧約聖書ではイサクに妻となるリベカが与えられます。これはアブラハムから続く約束がその子孫に渡って継承されるためのものでありましたが、それだけでなく母という愛を失ったイサクの個人的な悲しみを慰め、愛する妻を与え、愛に生きる者とし続けるためのものでもあったのです。また、新約聖書ではイエスが実の母や兄弟を蔑ろにするような場面が書かれますが、イエスの愛の福音がここで示していたのは、主を信じ、イエスを信じる者は誰でも実の家族やその愛と同じくらい大切な信仰の家族が、その愛が与えられるということを示しているのです。何よりも私たちは日々主の愛から生まれ、新しくされているではありませんか。主なる神を、イエスを信じる私たちはたとえ何があったとしても愛から生まれ愛に生きる者とされ続けているのです。主の愛と恵みは広く世界中に与えられるものではありますが、社会の歪や人の欲による妨げによって未だに苦しむ人々がいるのは事実です。どうか今この時も、苦しむ人々を私たちの信仰の家族に、その愛に迎え入れるために愛と平和を祈り続けましょう。