2025年8月10日朝礼拝 大賀幸一牧師「収税所に座っていた」

 マタイ9:9-13   ホセア書6:1-6

  マタイは収税所に座っていました。収税所は、税金を徴税するための出張所のようなものです。税金を徴収するのはその国の行政官が行うものですが、徴税する権利を買い取った民間人に徴税を行わせていたのが当時の収税所です。マタイも徴税する権利を買い取り、税金を徴収していました。また徴税の折、必要以上に税金を取り立てている場合もあり、その多くは自分たちの利益を上乗せして人々から徴収して、利益を上げ、富を得ていた者たちがあったのです。今日もマタイは、人々から徴税することで、自分の利益を、富を増やしている最中でした。しかし今日は少し違います。“私に従いなさい”とイエス様の声を聞いたのです。徴税人が蔑まれるのは、外国人のために働き、外国の通貨のために働き、自分の富と財産のために悪どい働きをしているので、どちらにしてもユダヤ人社会では認められない存在です。特にファリサイ派のような厳格に信仰者であろうとする者たちにとっては、許しがたい存在です。ユダヤの人々は既に神様に背いて国を、故郷を失うという経験をしています。神様に背くということがどれだけ私たちの人生にとってマイナスなことかを知っているので、同じ過ちを繰り返さないためにどうすべきかを真剣に求めていました。神様に背かないための決まり事を作って行ったのです。神様に従おうとする中で人間たちが罪人を生み出したのです。罪人は、神様が決めたのではなく、人間たちが作り上げたのです。このような人間世界の間違った正義に対して、イエス様は、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」と言い。神様に従おうとしながら、人間は罪人を生み出しています。隣人を罪人にし、自分も罪人であることを明らかにするのです。神様が罪人を作り出すことはありません。罪人にこの先行くべきところがありませんが、イエス様はおしゃっています。私が来たのは、正しい人を招くためではない。罪人を招くためである。イエス様が、“罪人”を招いて、神の国に迎えてくださいます。神様の愛と命へ、人間によって罪人として生み出された私たちを、招いてくださいます。