マタイ7:15-29,エレミヤ7:1-7
あなたがたはその実で見分ける、とイエス様は教えています。どの時代にも偽物が流行り、人々を迷わせるということが起こっています。しかし私たちは騙されてはなりません。大切なもの失ってしまうからです。騙されないために、今私たちにはその実を見分けることが必要です。そこでイエス様は一つの例を上げてくださいました。木には良い木と悪い木があります。しかし私たちにはどの木も同じように見えます。どの木が良い木なのか、どの木が悪い木なのか判別することが難しいです。ところがイエス様は、私たちには簡単に判別できなくても、その木がもたらす果実、その実を見てごらんなさいとおっしゃいました。どの木も同じように見えても、その果実には大きな違いが表れているのです。悪い木の果実は、悪いものです。良い木の果実は、誰が見ても良いもの。美しく、おいしく、その香りも栄養も良いものです。良い実、良い果実を得るためにも、私たちは良い木を育てて行くことが求められています。神様は、人間たちに対してどんな時もその大きな愛で愛してくださり、必要なことを満たしてくださいます。人間にとって神様はどんな時でも良い木なのではないでしょうか。いつも私たちに良いものを与え、良い果実をもたらしてくださるからです。価値あるもの、大切なものを奪おうとする力はどの時代にもあります。ですから私たちは、大切なものを奪われないためにも、見分けること、良い木なのか悪い木なのか、見分けることが求められています。見分けるための知恵と知識は過去にあります。真実を見分けようと人々はどうして来たのか、それが過去の人間たちの歩みの中にあるのです。イエス様は、天の父なる神様の御心を行う者が天の国に入るのだ、と教えています。では、神様の御心とは何か。それは私たちのイエス様が私たちに何を命じたのかです。イエス様は、悔い改めよ、天の国は近づいた、とおっしゃっています。悔い改める、再び私たちの顔を、心を神様に向けましょう。人間は、良いものを与えてくださる神様に心を開き、神様の御声を聴いて生きるべきです。