2025年7月13日 朝礼拝 大賀幸一牧師「思い煩うな」

マタイ6:22-34,イザヤ49:14-21

  今日もマタイによる福音書を中心に神様の御言葉を聴きましょう。今日はマタイ福音書の有名な御言葉です。思い悩むな。口語訳では思い煩うな。新改訳では、心配するな。こちらの方が現代的です。しかし、私たちの毎日は思い煩うこと、心配ばかりで出来ています。私も60歳台ですが、まだ若い頃は、きっと年を取ると心配することも無くなって行くのではないかと想像していましたが、まったく逆でした。年を取るほど心配が増えています。しかしイエス様は、空の鳥を見なさい、野の花、野の百合を見よ、また今日は咲いている野草を見てごらんなさい、と。今日は咲いているが、明日は燃やされて跡形もなくなってしまう野の草が生えています。この野の草も神様は装ってくださる、とイエス様はおしゃっています。6月最後の日曜日に教育研修部が企画された聖書を読む会が開催され、創世記1章を皆さんと読みました。私も最後に感想を述べさせていただいたのです。神様は1日1日の創造の業が終わった後、とても良かった、とおしゃっています。神様が創造されたもの、すべて命を与えられたものは良いものであって、悪いものはない。しかし人間は病気をしたり、思い煩ったり、段々と不自由になって出来ないことも増えて行くではありませんか。それもすべて含めて神様は創造されたすべての命が良いものだ、とおしゃっているのではないでしょうか。神様は形なく、人間には見ることも触れることも出来ませんが、存在しています。神様は真実の愛、本物の愛です。愛に形はありません。愛は欲張りで具体的な姿形となる事を求め、それを実現して行きます。だから神様には姿かたちは無くても、その愛そのものが形となった私たちを、世界を生み出しました。私たちの命の中には、神様が愛して与えたすべてが詰まっています。神様は今も私たちを愛して、私たちを見張り、見守り、養っています。イエス様がそうおっしゃっています。私たちは、人間のためにすべてを捨てられたイエス様のこの言葉を信じます。思い煩う私たちですが、神様が私たちをいつも愛し、大切に思ってくださることを信じて、今日の労苦を成し遂げましょう。