6月30日(日)朝礼拝『私たちの出番』滝口大気神学生

御言葉を語るとき、どう伝えれば皆さんに届くかを考えるうえで、私は落語に注目しています。落語の寄席では、若手から始まり、二つ目、真打と続き、最後に最も格の高い真打がトリを務めます。けれど育成目的など特別な場では、真打が最初と最後に登場して場を整えることもあるのだそうです。この順序が、イエスの福音が宣べ伝えられる流れに重なるように思えました。まず神は御子イエスをこの世に遣わし、愛の福音を語らせ、イエスは十字架にかかり復活されて天に昇りました。そうして、そのあと、イエスは私たちに出番を託されたのです。「もしイエスが今も人の姿でいてくれたら」と思うこともあるかもしれません。しかし、イエスが天に昇られたのは「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」というイエスの言葉のとおり、私たちを客席でただ聞いて頷くだけに留まらせず、実際に愛の福音を生き、広める舞台に立たせるためだったのではないでしょうか。これはイエスの信頼と期待の表れとも言えます。目に見えぬ神の愛を信じ、実践するのは難しいことです。けれど、だからこそイエスはこの世から退かれ、光を人々の前に輝かせる役割を私たちに委ねられたのではないでしょうか。イザヤ書にあるように、人の光(富や名声)は沈み欠けていくけれど、私たちに与えられた神の光は変わらず輝き続ける。マタイの福音書では「あなたがたは世の光である」とあります。私たちは、主から与えられた恵みの光を人々の前で輝かせるように招かれているのです。イエスがこの地から退いたのは、信頼と期待の表れ。世の光とされた私たちは、今この時代、この場所で、その光を輝かせる役目を担っているのです。だから今は、イエスの出番ではなく、私たちの出番。神の使途として、この地上で光を灯しながら、やがて再びイエスが現れるその時まで信仰と共に歩んでいきたいと思います。