マタイ6:1-15、列王上18:30-39
音楽は誰もが楽しむことができます。しかし誰もが音楽家ではありません。祈りは誰もが祈ることが出来ます。何の道具も、技術も知識もいりません。ただひたすらに、心を開いて祈ることがあるだけです。ただし祈りは簡単であるとは言えません。いつも私たちが心を開いて、心から神様に祈れるものでもありません。最初はどう祈っていいかも分かりません。今日、マタイ福音書で、イエス様は、祈りの中でくどくどと述べるな、と教えています。ただ私たち自身が心を開いて、素直に祈れることが一番です。いつも神様に心を開いて祈れるならどこでだって祈って構わないのです。祈りは神様に聞かせるのではありません。神様に呼びかけ、神様とつながることです。神様と対話をすることです。私たちは祈りを通して、神様に呼びかけています。しかし実は神様が私たちに対して呼びかけていることを祈りは私たちに知らせてくれます。神様がいつも私たちに呼びかけていることを知ることになるのです。私たちには祈る事しかできない、とよく言われます。その通りでもあるし、その通りでもありません。音楽の力が多くの人々の心や思いを結び合わせ、力を与え、壁を越えているのです。祈りの力は、神様の世界をも人間の世界をもつなげています。時間や地域をもつなげています。私たちの人生が神様とつながっていることを知らせくれます。神様は隠れていることを見ておられる、とあります。神様がいつも深く私たち人間たちの奥深くを知ろうとしてくださっているか、そして知ってくださっているかを覚えるべきです。そして神様がその深い愛から、私たちのすべてを赦し、私たちのすべてを受けれてくださっていることを私たちは知りましょう。私たちも神様に愛されている者、赦されて入る者であり、愛すること許すことを求めれています。そして平和の神が求めている道を信じてこれからもご一緒に祈りましょう。絶えず神様を信頼し、神様とつながり、委ねて祈りましょう。