創世記4章1-12節 ガラテヤの信徒への手紙4章1-7節
パウロはガラテヤ書4章1節以下で、キリストが到来される以前と以後の人間を「相続人」のたとえを用いて説明しています。相続人は親の全財産を所有する権利をもっていますが、まだ成人になっていないうちは、父親が定めた期日までは、後見人ないし管理人のもとで監視され、奴隷と同じように不自由にすごさなければなりません。それと同様に人間は、イエス・キリストがこの世に来られる前は、いわば未成年であって、律法など世を支配する諸霊のもとで、自分で自分を救おうとする奴隷状態にありました。その人間を救い出すために、神は、そのひとり子を、人間の姿で人間の世界に送ってくださいました。そして、この神の子の十字架の犠牲をとおして、私たち人間をご自分の子・成人した相続人としてくださいました。私たちが神の子とされたのは、神がわたしたちに「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を私たちの心に送ってくださったことから判るとパウロは言います。私たちが神の子とされたのであれば、御子キリストは私たちの長兄である、ということになります。さらに、教会に集う私たちは、キリストを兄にもつ兄弟姉妹であるということにもなります。同じ親から生まれ同じように育てられたことを根拠とした兄弟姉妹は、創世記4章のカインとアベルの物語から判るように、必ずしも良い関係にあるとはかぎりません。一方、私たちが神の子とされ、互いに兄弟姉妹と呼び合うことができるのは、父なる神と人間との間の関係が、御子キリストの十字架によって回復したことに基づいています。
教会のなかで兄弟姉妹と呼び合う、そのなかに、神と人間の間を和解へと導いたイエス・キリストの十字架が見えます。また、私たちが「父なる神さま」と呼びかけ祈るとき、神に「アッバ」と叫ぶ御子キリストの霊が私たちの心に送られてきて、その霊が私たちのなかで働いてくださっていることを、私たちはしっかと信じる者でありたいと思います。