2025年5月11日 朝礼拝「主がここにいてくださったら」大賀幸一牧師

ヨハネ11:17~27  ネヘミヤ2:11~18

マルタの問いかけに対して、イエス様は、あなたの兄弟は復活する、とおっしゃいました。なぜ復活が必要なのでしょうか?イエス様は、人は新たに生まれなければ神の国を見ることは出来ない、と教えています。新しく生まれること、正しくそれが復活です。なぜ今のままではだめなのでしょうか。今のままでは破滅、滅びに向かって進んでしまうからです。人間の知識と技術は、飛躍的に人間の生活を楽しく、快適にしました。しかし死を、破滅を克服していません。今も私たちの世界は死に向かって、滅びに向かって進んでいますし、死に向かって進む方向を変えられていません。この世界は滅びてしまっても良いものでしょうか。神様もイエス様もそうは考えていません。この世界が救われるために、イエス様は人間として生まれたのです。死から命へ、破滅ではなく再生、創造へと向かう必要があります。そのためには何が必要でしょうか。神様が必要なのです。神様の愛が、復活には必要なのです。人間たちは何もしなくていいというのではありません。人間たちは必死に努力しなければなりません。自分たちの命のために、世界が破滅から再生するために。しかし神様が、神様の愛がなければ、人間の知恵と力では復活することはできないのです。どの命も、母とつながっていて命は与えられ、生まれました。命は独りで生まれることはありません。真の命とつながることなく命はありません。イエス様は、私を信じるなら、あなたがたは死んでも生きる、と教えました。生きて私を信じるなら、決して死なないと教えられました。私たちの命が、死から解放されために、死から命へと復活させられるために、イエス・キリストがおられるのです。この世界が救われるために、この世界が破滅から再生するために、イエス・キリストがおられるのです。そしてイエス様によって、ラザロは復活させられました。エルサレムではなく、ベタニヤ村でです。私たちは、イエス・キリストによって、死から命に至るために歩んでいます。私たちはこの世界が破滅から再生し、新たに創造されるために、イエス様と神様と共に歩んでいます。イエス様と一緒に歩むならば、私たちは死なないからです。死ぬことなく、永遠の命へと進んで行くからです。