2025年4月27日(日)「弟子たちが夜中にやって来て」朝礼拝 大賀幸一牧師

マタイ28:11~15  イザヤ書65:17~25

  イエス様の墓に現れた神の使いたちに驚き慌てた番兵たちは、エルサレム市内へと戻り、祭司長のもとに行きます。実際にはユダヤ総督ピラトスの許可により兵士は派遣されています。兵士たちはピラトスのもとではなく、祭司長たちのもとに戻り、報告しています。天使が現れ、イエス様の墓が開かれたことを伝えたのでしょう。祭司長たちはここで話し合い、兵士たちに金をつかませ、嘘を言わせます。弟子たちがやって来てイエス様を墓から奪って行ったのだ、と。これがユダヤ教の頂点に立つ信仰者であるというのですから驚きです。祭司長はサドカイ派です。サドカイ派はユダヤ人の貴族層です。サドカイ派は、神の律法という文字になっている神の言葉だけを尊重します。天使も信じません。神様の御業は、この書かれた文字以外にはないとする人々です。しかし、神様の御業というのは、誰もが見える文字、形となったものだけに限るべきでしょうか。神様の働きは、私たちには見えないことの方が多く、私たちには分からないことの方がはるかに多く、神様の御業はいつも自由自在で、文字だけに限られるものではありません。神様の御業は文字にだけ限られるものではありません。文字の中に、文字を超えて、行間の中にも外にも神様の御業はなされています。私たちは、見えるものの中にも、見えないものの中にも、この神様の御業が溢れていると信じているのです。さて私たちはどこに帰るべきでしょうか。私たちの帰るところ、それが私たちのホームスイートホーム懐かしきわが家でありますようにと願います。私たちにはいつも帰るべきわが家があります。私たちの疲れをいやし、苦しみを和らげ、新たなる力を与えてくださる私たちの帰るべき家です。もちろんその家はいつも私たちの帰るのを待っていてくださる方、愛なる神様がおられる所です。嘘と偽りとお金で造り上げたものとは全く違う懐かしきわが家が、いつも私たちにはあること、待っていることを覚えてください。そこから私たちは再び力を与えられて歩みだすことが出来るのです。