2025年4月20日朝礼拝「あの方は復活された」大賀幸一牧師

マタイ28:1~10 創世記1:1~5,26~31

イースターおめでとうございます。さて、マグダラのマリアやイエス様の母マリアたちが墓に到着しました。開かれた墓の扉から中へ入り、イエス様がいないことを確認し、また神様の遣わされた天使たちと出会いました。この大切な場面聖書はそれぞれに描いています。マルコ福音書は、女性たちは墓の中で見知らぬ若者に出会ったとされていますし、ルカ福音書は二人の人とされ、ヨハネ福音書では、復活されたイエス様ご自身がマグダラのマリアと出会われたとされています。微妙に異なっているのです。ただし共通していることもあります。それは、イエス様は復活されたのだ、ここにはおられない、ということです。そしてマルコ福音書は、神の使いのメッセージを聞いて、恐ろしくて逃げ出してしまい、誰にも何も伝えなかった、と記されているのです。改めて、イエス様の十字架と復活の出来事に対して、人間たちは皆逃げ出してしまったのだということを覚えさせられます。男性の弟子たちだけ逃げ出したのではありません。女性の弟子たちも逃げ出したのです。誰一人として、イエス様の十字架と復活に、人間として近づける者は一人もいないのだということが明らかにされたのです。それで構わないのです。誰も近づけないのにもかかわらず、私たちはイエス様の十字架と復活へ近づくことが出来るのです。それはもちろんイエス様が私たちに近づき、私たちを招き、迎え入れてくださるからです。イエス様の死でもって、イエス様と弟子たちの関係は終わりではなく、ここから始まるのです。だからイエス様は、ガリラヤに先にって待っている、そこでお目にかかれるとおしゃっています。キリスト・イエス様と私たちの関係も、ここから始まるのです。いつもイエス様は再び私たちに呼びかけ、招いてくださることから始まります。