マタイ3:13-17 サムエル上16:1-13
先週、南部地区新年合同祈祷会が行われました。京都丸太町教会は、洛陽教会で新年祈祷会を守りました。松下牧師がお話をしてくださいました。メッセージのテーマは“そこに愛はあるんか”でした。CMに登場するフレーズです。私たちに、私たちの教会に愛はあるのか、と神様から問いかけらえているようなフレーズです。そして私たちは改めて自分たちにはまったく愛が無いということを思わされます。私たちにある愛というのは、条件付きの愛です。自分たちにとって見返りがあるから愛しているという愛です。見返りがないなら愛するどころではないのです。それは本当の愛ではないのです。神様の愛は、どこまで行っても無条件に私たちを愛してくれるのです。それが神様の愛です。私たちは時に思い違いをしていることがあります。私たちに愛があるのではない。神様に愛があるのです。先週年末から孫が来ていたという話をいたしましたが、孫を見ていても、最終的に頼りとするのはやっぱりお母さんなのです。お母さんが最終的にすべてを受け入れ、すべてを愛してくれるのです。今日女性にだけ母の持つ包容力を求めるのは問題があるところです。しかし、私たちはいつもどこかでこの大きな愛に支えられて来ました。いつも、どんな時も最終的にすべてを受け入れてくれる、すべてを赦してくれる、すべてを愛してくれる絶大なる愛を私たちは知らされたのです。そしてその愛は、今も私たちから奪われてはいません。私たちの教会もこの大きな神様の愛を失ってはいません。洗礼者ヨハネは、イエス様の洗礼を思いとどまらせようとして言いました。あなたが私の所に来られたのですか、と。それで良いのです。イエス様が私たちのところに来てくださったのです。私たちを愛し、私たちを赦し、私たちをすべて受け入れてくださるために、私たちのところに来てくださったのです。この大きな大きな神様の愛は、今も失われていません。天は開かれ、神様はおっしゃいました。私の愛する子、私の心に適う者。イエス様は、神様の愛そのものです。この神様の愛にいつも受け入れていただいてこそ、私たちは歩んで行くことが出来るのです。