箴言8:1,22-31、マタイ10:28-33
創世記16章、ハガルへの問いかけ。あなたはどこから来て、どこに行くのか。それは、私たちそれぞれに対する神様の問いかけ。また私たち京都丸太町教会への問い。そして、人間世界への問いかけでもあるように思われるのです。どこから来たのか、それは、私たちの原点、源はどこにあるのかという問いがあります。もちろん私たちの原点、源は神様にあると私たちは考えています。今日読んでいただいた旧約聖書、箴言8章には、知恵が呼びかけている、とあります。知恵は、知識や経験とは違います。知恵は世界の始まる前から存在していたようです。そして知恵は、世界が始ると、神様を喜ばせ、地上の人間たちを喜ばせるものであると示されています。知恵は、難しいものでもありません。知恵は、神様と人間に喜びを与えるものなのです。私を見失う者は魂を損なう、と36節には書かれています。つまり知恵は、人間の魂、命につながっているものなのです。それを失うことは命を失うことにつながるのです。神様は人間に知恵を与え、人間に生きる喜びを与えました。今週からいよいよ降誕前第9主日です。今年のクリスマスに向けて備える季節となりました。そのためこれまでヨハネ福音書を中心に聖書を読んで来ましたが、これからの1年間は、マタイ福音書を礼拝で読ませていただきます。一羽の雀さえも神様の許しがなければ落ちることはありません。神様はあなたがたの髪の毛1本1本さえ残らず数えておられるほどに、あなたがたを神様は知っておられます。恐れるな、あなたがたははるかに優っているのです。どこから来て、どこへ行くのか。私たちは、神様によって生まれ、神様の求める平和と正義の世界へと進んで行きます。私たちは逃げ出そうとするその途中で神様に出会うでしょう。不安に思う時に、神様の御声を聴くでしょう。そして私たちを見ている神様に力づけられ、慰められて、また歩き出すのです。