ヨハネ福音書10:1~6 エレミヤ50:4-7
私たちの羊飼いも、門を通って入って来て、私たちを導いてくださる方です。その羊たちはもちろん、羊飼いの声を聞き分け、羊飼いに聞き従って行きます。何故なら、羊飼いの声を聞き知っているからだと説明されています。知らない者の声に従うことはありません。私たちも羊飼いであるイエス様の羊であるなら、私たちはイエス様の声を知っているということです。イエス様の声を知らなければ、聞き分けることも出来ませんし、良き羊飼いであるイエス様に従うことも出来ません。良い羊飼いは、自分の羊の名前を呼んでいます。羊たちは、名前を呼ばれて、その声に従って行くのです。ですから私たちは既に、どこかで、私たちの良き羊飼い、イエス様に名前を呼ばれています。良き羊飼い、イエス様の羊であるから、私たちはイエス様の声を聞き分け、それに従うことが出来るのです。私たちはイエス様の声を知っています。神様を信じるということは、神様の僕になることです。僕とは奴隷のこと。つまり神様を信じるということは、人間としての自由を捨て、自部で考え、選び、歩むことを止めてしまうことでしょうか。私たちは、神様を信じることこそ、私たちが自分たちの人生を、命を最も良く考え、そして自分で選び、自分の道を歩むことだと考えています。私たちの真の自由とは、私たちが最も信頼できる方と共に歩むこと、すべてを委ねられる方を信じて歩むことでないでしょうか。私たちの自由は、選択の自由も人生の自由も、何かに依存して得られるものだとは思いません。私たちを心底愛して、すべてを受け止めてくださる神様だからこそ、イエス様だからこそ、私たちはすべてを委ねて、すべてを信じて、一緒に歩んで行くことが出来ます。それが最も私たちに自由をもたらしてくださるのではないでしょうか。ですから人間は、神様を知って、神様を信じてこそ、本当に自由を得ることが出来るのです。私たちのすべてをご存じある神様だから、私たちを愛する神様だからこそ、私たちを本当に生かしてくださる自由を与えてくださるのです。どうぞ、神様と共に、私たちの人生を歩みましょう。