2024.8.11 “あなたもガリラヤ出身なのか” 大賀幸一牧師

ヨハネ福音書7:40~52 ヨブ記28:12-28

  ヨブ記28章によりますと知恵も分別も、人間の世界には隠されています。知恵や分別を得たいと人間が思うのならば、その方法は、神様を畏れることです。また、悪を遠ざけることだと教えています。神様を畏れ敬い、神様の前にへりくだって、神様の御言葉を聞こうとする者には、神様から出て来る知恵を聞くことが出来ます。しかし、心を平らにし、神様に聞こうとしない者には、知恵は聞こえません。とどまらないのです。そして、悪を遠ざける思いがないところに、分別は生まれないのです。知恵も分別も人間が得るためには、神様との関係がしっかりと整えられなければなりませんし、神様の御声を聴くという姿勢がなければなりません。そして神様はいつも私たちに呼びかけ、語りかけているからこそ、私たちはいつも神様の御声を聴いて、知恵を分別を得ることが出来るということです。

  ヨハネによる福音書で、仮庵の祭りという秋の収穫祭が行われていました。イエス様は、この祭りの中で、人々に呼びかけられました。渇いている人は誰でも私の元に来て、飲みなさい、と。誰もがイエス様のもとに招かれています。誰もがイエス様が与えてくださる“生きている水”を飲むことが出来るのです。ユダヤ人の間で、イエス様についての評価が割れていたようです。知恵はどこからくるのでしょうか。それは、神様から人間にやって来るのです。耳を傾け、心を開いて、神様の呼びかけに、神様の御声を聴く人に、知恵は与えられます。しかし私たちはいつも神様の前で、本当に心を開いて神様の御声を聴いている、神様の必要な呼びかけを耳にしているでしょうか。私たちが悪を遠ざけているいるなら、この世界は分別を知っているはずです。私たちは、神様の御声を聴いて、生きて行きましょう。それが私たちの人生に知恵をもたらし、平和を造り上げる道です。世界が神様の御声に開かれるよう、祈り続けましょう。