「死者が神の子の声を聞く」大賀幸一牧師

ヨハネによる福音書 5章19~36節 ミカ書7章14~20節

    イエス様は、人の子は父なる神様の示されるままをなして来たのだとおしゃっています。キリストの歩む道にも、モデルがあるのです。イエス様がモデルとしたのが、モーセです。モーセの歩んだ道のりは、神の民を救い出すこと、神の民が神様と契約を結ぶこと、そして神の民を約束の土地へと導くことです。これが人間の救いの道となりました。モーセは、捕らえられ奴隷のような状態にある人間たちを救い出しました。強力な王国を持っていたエジプト王ファラオ。ファラオでさえも立ち向かえない強大な力があることを見せつけたのです。しかし、最終的にファラオが神様に屈したのは、愛する家族を失うという出来事が起こったからです。人間は、死を恐れ、愛する者の死を恐れ、神様に救いを求めているのです。解放された人間たちは、すぐ様神様を信じるようになったかと言うと全然なのです。実に人間という生き物は、神様から特別な力を示されても神様を信じないのです。それでもようやく人間たちは神様と契約を結びました。そして約束の土地を目指して進むことになります。しかし誰もその約束の土地というのを見たことがないのです。それでも約束の土地を目指して歩む意味、価値はあったのでしょうか?自分たちの人生をかけて歩み続けて遂に辿り着けるのが約束の土地です。自分で苦労して歩んで行かないと辿り着けないから皆さん苦労して歩み続けるのです。何もしないで辿りつけるところではありません。どこにあるのか、誰も知らない約束の土地です。だから神様を信じること、神様を信頼できないと、約束の土地に辿り着くことはできないのです。イエス様は、神様と共に、その憐み、愛を人間に注ぎ続けました。神様に背いた人間にも、神様を信じられない人間にも愛を注ぎ続けました。神様から見ると死者、神様に背いて死んでしまった人間たちをそのままに放置するのではなく、生き返らせ、命を与えるために、神様とイエス様は徹底して愛を注ぎ続けてくださっています。私たちは信仰の確信と喜びのために、聖書を読み、御言葉にって力を与えられ、約束の土地を目指して歩み続けましょう。